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Rosary --- 薔薇も未来も要らない幸福 a nonstop spirit ---





 月が出ている。
 その冷たい切っ先が白い肌を貫くように、彼の躯を鬻(ひさ)いでいく。




「ああぁ……」
 滑らかな夜。
「ん、ふぅ…」
 あまりにも清らかな月。
 下腹部に掛かる重みを受け止めて、広明の首が仰け反った。どんな相手であっても、痩身の広明にとってはあらゆる行為が辛すぎる。ましてそれが国のすべてを司る法王が相手とあっては、広明に彼を止める術などはなから存在しないため、喘ぐだけ喘がされては寝台に投げ出された。
 もう息をつく暇すらない。なのに“彼”は一見脆弱にみえる肢体から思いもつかぬほどの力強さで広明の脚を抱え上げ、一息で己を挿し入れる。
「!!」
 はっと飲まれた空気が割れて、広明の細い咽喉を傷つけた。




「……そんなに似ていますか」
 天蓋付きの寝台の上に横たわる大久保の躯を拭いてやりながら、広明は低い声で語りかけた。元来大久保の体は丈夫からは程遠く、情事のあとはばったりと寝台に埋もれてしまって指一本を動かすことすら辛そうにみえた。日常、ろくに休憩も取らずに執務を行うのだから、せめて夜ぐらいは確りと休んだほうがいいと言ったところで、大久保が大人しくなる気配はないのだ。
「随分…不満そうに聞こえるが」
 大久保はいつでも白々しい。
 判りきっている広明はふっと微笑んで、ぱらりと形良い額にかかった鳶色の髪の毛をかきあげてやった。
「当然でしょう…?当主の弟なんですよ、あいつは。しかも貴族に生まれたことに感謝するどころか、好んで悪行をしようとする。完全の悪にはなれない癖に…困ったものです」
 広明は大久保が斎藤に血を捧げられたことを知っている。知っていて大久保と関係をもつのだ。…大久保とともにいたいから。
 斎藤家は黒曜の森を含む広い領地を代々治める貴族のひとつで、現在は法王庁の統率下にあるが、もともとは他国から流れてきた移民であり、本来ならば何者にも支配されない一族である。
 正確には、例え相手が皇帝だろうと神だろうと、支配されることを厭うきらいを長い間保ってきた一族であった。それが、この広明の代で緩んだ。広明は斎藤家の人間の割に一般の人間と情感が交換しやすい男であり、また数学に長けていることから直接法王庁で勤務するようになったのだ。尤もこの年若い当主を毛嫌いする輩も少なく無い。
 原因は、広明が大久保に酷く好かれているという、たわいもないことであった。
 大久保は人の好悪をそれほど表出しない人間である。また法王という巨大な公的立場である。にも関わらず、深夜になるまで広明と寝室に篭り、朝ともに部屋から出てくることもある。広明は枢機卿でもないのに大久保の最も身近になっているのはどういうことかと、山県などは他の枢機卿らに詰め寄られて言いよどんでしまうことがままあった。
 斎藤家に背信の意があるのではないかと噂されるようになったのは、そういう事情が絡んでいるらしい。あくまで公的地位に留まるべき法王に対し、必要以上に私的関係を持つのは勢力の拡大を計ろうとしているからではないのか。真偽を他所に増幅する嫉妬を知りながら猶、二人は関係を続けていた。無論、彼に背信の意は毛頭ないし、広明がそういう人間でないことを大久保は知っていた。かと言って二人が思い合っているかというと―――――そういうわけでもなかった。
 つい先刻までさんざ責められ鳴いていたのに、広明が僅かの時間で回復し立ち上がっててきぱきと動くのをみて大久保は呟いた。
「君にも、狼の血はあるものなのか」
 広明は、手にもった盆の上にグラスと度の低い葡萄酒の瓶を載せながら「ええ」と答えた。
「斎藤家の人間なら、誰でも継いでいます。弱く生まれた子に親が噛み付いたり、分娩の際に死にかけた妻に夫が噛み付いて母子ともに助けるなど…」
「ほぅ…」
「そうでなければ戦乱治まらぬ世で長く子孫を残すことは難しいでしょうから」
「強い生命力は血によりけりか…なるほど…」
「あ…大丈夫ですか?」
 広明は盆を卓に置いてさっと大久保のもとへと動き、寝台の上で起き上がろうとした大久保の躯を支えた。
「君はそんななのに、俺には根付いていないようだ」
 大久保の言葉に広明は苦笑する。
「休むおりは確り休まれなければ。いくら狼の血とは言え、三日で睡眠八時間では保ちませんよ」
 言って広明は卓から盆を取り、グラスに葡萄酒を注いで大久保に差し出した。
「葡萄酒はキリストの血…貴方にはこちらのほうが相応しいでしょう」
 終始穏やかな表情で接する広明の鼓膜にこだまするのは、廊下で囁かれる侮蔑の声だった。
『斎藤家…?』
『何様であろう、あのように法王に纏わりつくとは…』
『斎藤家は古くから法王庁を侮り、たまの閣議にしか顔を出さぬ不忠者。それにまだ若造ではないか』
『法王はどうかされたのではないか』
『しぃっ。滅多なことを口にするものではない』
『見よ…』
『おお法王―――』
 蔑まれる自分。崇められる彼。
 だが貴方は私を、狼でも魔物でもなく、ただひとりの人間として平等に扱って下さった―――――……
 広明の黄褐色の瞳が、葡萄酒をゆっくりと飲む大久保の姿をとらえる。別の皿に載せたパンも大久保に渡し、彼が千切って口に含むのをじっとみていた。
「…可笑しなものだ」
「……なにがです?」
 大久保は手を止めた。
「俺を救った男の兄とこうして交えるなど」
 淡々と喋る大久保に、広明は眉を顰めて苦笑した。
「あれの代わりに私を求めたのは、貴方だったと思いますが」
 ふ…と大久保が笑った。
 いやに人間的な貌で。
 それをみた広明の胸に蘇るのは、敗北という名の、嫉妬。
 頑なになった広明を知ってか知らずか、ややあって大久保が口を開いた。
「血――――かな。俺のなかのあいつの血が…君を呼んだ…」
「…かもしれませんね……」
 違う―――――
 広明は思った。壊れた心が叫んだ。
 一の血が呼んだのは一そのものなのだと。
 なぜならばふたりは一の血によって一心同体になったのだから。
 自分ではなかった。
 落ちる精神を奮い立たせるように、広明は笑った。
「私より一の血のほうが丈夫でしょうから、貴方にはやはり一が良かったのでしょう」
 言いながら自分のなかには悔しさと悲しみが溢れていくのを、広明は知っていた。
 広明は、痩せこけた大久保を傍にすると、例えそれが自分を傷つけることに繋がろうとも、どうしても大久保を慰めてやりたかった。たぶん、一はそんなことはしないだろう。
 あいつはいつでも自分を生かす男…私は自分を殺す男…同じ兄弟でもそれはまるで違うのだ……
 同じように育ってきたのに、どうしてこんなに違ってしまったのか―――――…
 Rosary―――――――
「それは…」
「…っ」
 大久保の声に広明ははっと顔を上げた。そして大久保の手のなかで空になった皿とグラスをみてそれを下げる。そのまま広明は椅子のほうへ行って椅子の背にかけられた厚手のガウンを手にして戻り、大久保の肩からかけてやる。
 大久保の背は薄かった。何度抱き締めても遠かった。
 溢れ出る感情を必死で抑えて、広明は寝台の縁に腰をかけ大久保をみつめた。
「それ…とは…」
「肩に噛み付いて、血を埋めるという―――」
「“儀式”ですか?」
 広明の声に、大久保は軽く頷き更に聞いてきた。
「それはいつでも出来るのか?」
 大久保の素朴な疑問に広明は「いいえ」と答えた。
「いいえ?」
「いつでもではありません。そこまで強くはない…一度きりです。私達の“儀式”は」
「一度きり…」
 大久保はやや驚いた。一度きりの血の“儀式”を、人狼にとってはそれだけ大切なものを、斎藤は自分に潅いだのだ――――――…
 あの夜。
 軽く斎藤の体が震えたと思った瞬間、突然彼の歯肉が盛り上がり、それまで並みの大きさであった犬歯が根から押し出されたように成長した。やがて大久保は肩に噛みつかれ、熱い液体をぞろりと注ぎ込まれた。
 あの黄金のときを忘れない。
「…思い出されましたか?」
 ベッドが軋む音で、大久保は現実に戻った。みると広明がこちらを覗き込んでいる。
 少し、悲しげな瞳で。
 懐かしい黄褐色の瞳に誘われるようにして、大久保は尋ねた。
「君には、そういう相手がいたのか」
 大久保の問いに、広明はやや間を空けて静かに否定した。
「そうか…」
 大久保の低い声が寝室に擦れていく。
 広明の、声にならない祈りも連れて




 私は貴方に差し上げたかった


 いまはもう 叶わない思いです




 広明の上体が寝台に横たわる大久保の貌のほうへ沈んでいく。
 それを抱きとめる大久保の腕。
 絡まり溶け合い、慰めていく。
 月光のなか、ふたりを遮るものはなかった。






 白い指が細い顎を掬い上げた。
 突き刺してくる月光。
 だがそれはまるで違う光で。
「あの男と同腹ですか?ほんとうに?信じられませんね。……尤も…」
 広明を嘲りながら男は言った。眼鏡の奥でほくそえむ貌は、“彼”とは似ても似つかなかった。
 男は広明の肢体を粘着質なその視線で舐めまわすと、広明のシャツに手をかけ尖った指で引き千切った。ボタンが飛んで床で鳴く。
「…ッ!」
 突然現れた男の凶暴性に驚いた広明の目には、痩せた男がペロリと舌なめずりするのがみえた。
「狼の永遠の血は同じ。違いますか」
 狂っているわけではない。この男は正気で言っているのだ。
 広明の野生の血が鈍く唸っている。この男は危険だと。
 広明の目に怯えが走ったのを知ってか、男はいままでの詰問とはまるで違う、優しい声で語りかけながら広明の白い項を撫でた。
「私にはどうしても手に入れたいひとがいるんです。ですが失敗は許されないし、したくありません。貴方と違ってね」
「!…」
「ほら…ここ、この肩のところに噛付くだけでいいんでしょう?さぁどうぞ。あのひとが手に入るなら、一晩の痛みなぞ構わない」
「…だめだ…」
 広明の答えに、男は目を細めた。 「早くしないと、貴方の大切な方の命を奪います」
「な…!!」
「次の法王候補と私は古くからの懇意なんですよ。ですからすべて、貴方次第。――――――どうしますか?」
 広明は黄褐色の瞳を見開いて、唇を震わせた。
「出来ない…」
「何故?」
「…理由が…ある…」
「なんです?」
 間髪入れない反応(こたえ)が、ひどく物憂げ聞こえるのは何故だろう。
 広明は、まるで器械のように凍った喉で声を出した。
 一族にしか伝えてはならぬ理を。
 言わなければいいものを。
「“儀式”は…真に愛している者が相手でなければ通用しないのだ…友情でも…愛情でも……間に感情の高鳴りが介入しなければ…血が…根付かない…」
 怯えながらも真実を告げた広明であったが、男はつんと眉毛を吊り上げて嗤うだけだった。
 強張った頬が優しく撫でられる。男の本性とは裏腹に。
 再び広明の野生が吼えた。
 だがもう遅かった。
 男は言った。
「簡単でしょう。貴方が私を愛すればいいのです。心から。」
「………」
 広明は絶望の眼差しで男を見上げた。顰められた眉の下でその冒涜に怯える瞳は、男が焦がれる相手を喰らおうとするだろう狼のそれとよく似ていて、それが更に男を昂ぶらせた。
 なにもかもが霞んでいく。縮んでいく広明とは対照的に、男は勝ち誇った目で笑った。
 無言は、恭順の証。
「……っ」
 男の冷たい指が、肌蹴られた広明の胸を辿る。そのまま下へ進ませた左手を、いつのまにか緩められていたベルトの奥へと潜らせて、“彼”に幾度となく―――――上辺だけ―――――愛撫されたそこを探りあてると、男は広明を押し倒し、月光を浴びて艶めかしい肌の上に馬乗りになってきた。




 ああ
 泪で歪んだ視界に月が出ている
 おお天上の月
 蒼白きひとよ
 私はどこまでも墜ちよう
 なぜなら私はRosary
 たとえ神に背いても
 貴方を愛すると誓った身なのだから  



 天主の御母聖マリア 罪びとなる我等のために いまも臨終のときも祈りたまえ



 そして広明は噛み付いた。もうなにも感じない。罪の意識のなにもかもが遠くに霞む。頬を流れる涙さえも。
 気がつけば広明は部屋にひとり残されているようだった。男の気配はない。いま、ここがどこで自分が何なのかさえ、彼には分からない。
 いいや分からなくていいのだ。すべてを忘れて彷徨おう。
 なぜなら私はRosary
 祈るだけの身に成り果てた 救い難き罪びとだから
   fin.

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 完結とか言いながらこんな外伝があったなんて、覆霞も知りませんでした。Rosaryを唱えていて偶然思いついたもので(不謹慎)、しかも本編より先に出来上がったという溺愛ぶり(笑)。
 ご存知、斎藤の実兄・広明氏に演じていただきました。何故か好きです、お兄ちゃん。弟に美味しいトコ取られてばかり、それでも真面目で健気なお兄ちゃん。せめて美人の蒼紫と両思いであれば御心癒されるのだろうに、やっぱり弟に取られる不幸が似合います。
 もうどうしようもないから、観のつくあの方と(不)幸せになってくれ、とか思う覆霞レイカでした。
 あ、観のつくあの方が不思議の血をもつというのは、覆霞のオリジナルです。かなん様サイトのあの方とは同姓同名の別人だと思います。
 Rosary=ロザリオの祈り。
 掲載したのは旧式です。現在カトリック教会で唱えられている祈りは、もっと現代的。
 Rosaryは面白いです。ロザリオと言って、仏教で使う数珠のカトリックVersionを一珠ずつ握りながら、マリア様の生涯や祈りを連(マリア様の生涯や祈りを区切りのいいところで1フレーズにしたもの)ごとに呟き、数珠を一回りしたら終了。数珠を一回りするとマリア様の生涯や祈りが終るようになっています。
 それはともかく大久保×広明+観柳×広明でした。
BGM:non stop mega mix EURO3/digibeat

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そしてロザリーのことは忘れてください。
忘れる寸前にBBSまでどうぞ(笑)。